翻訳と辞書
Words near each other
・ 趙蕊蕊
・ 趙薇
・ 趙藩
・ 趙虹喬
・ 趙衰
・ 趙襄子
・ 趙貞林
・ 趙貴
・ 趙賽月
・ 趙起
趙起 (北斉)
・ 趙輔和
・ 趙述島
・ 趙逸
・ 趙遐
・ 趙達
・ 趙選侍
・ 趙邕
・ 趙重応
・ 趙金仙


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

趙起 (北斉) : ウィキペディア日本語版
趙起 (北斉)[ちょう き]
趙 起(ちょう き、生没年不詳)は、中国北魏末から北斉にかけての軍人政治家は興洛。本貫は広平郡。
==経歴==
趙達の子として生まれた。531年高歓が起兵して段栄が定州刺史となると、趙起は段栄の下で典籤となり、奉車都尉に任ぜられた。東魏天平年間、相府騎曹となり、中散大夫の位を加えられた。高澄が高歓の後を嗣ぐと、趙起は建州刺史として出向し、侍中に累進した。高歓の代から相府騎兵二局をつとめ、十数年にわたって相府の兵馬を監督した。北斉の建国後、宮廷で九卿や侍中の位にあったが、本官のまま軍事の監督権を手放さず、文宣帝の腹心としては二張に次ぐ地位にあった。西兗州刺史として出向し、弾劾を受けて蟄居させられた。証拠がなかったため、1年あまりして放免された。563年、晋陽に召された。564年、祠部尚書・開府儀同三司の位を加えられた。565年、太常卿に転じ、琅邪郡を食邑とした。566年、滄州刺史に任ぜられ、六州都督を加えられた。武平年間、在官のまま死去した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「趙起 (北斉)」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.